校長ごあいさつ

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国際健康アロマテラピースクール 校長の小黒富美子です。 このページをご覧いただき、ありがとうございます。

私は、メディカルアロマ(精油を使った代替医療)の普及を目指し、サロンではアロマテラピストとして施術を、スクールでは校長として授業を行っています。

私がアロマと出会った1999年ごろは、いまほど街でサロンを見かけませんし、スクールもほとんどありませんでした。

いまでこそ「アロマ」といえば、多くの方がなんとなく、その効果を実感してくださるようになりましたが、まだまだ、リラクゼーションの域を超えてはいないと思っています。

世の中には医療以外にも、体調不良や心の不調から抜け出す方法が、数多く存在していますね。フランスでは医療として認められているアロマも、日本では民間療法のひとつです。

ではなぜ私が、数ある民間療法の中からメディカルアロマを選んだのか?について、少しお話をさせていただきます。

感情を表に出せない、不感症の子ども時代

なぜ、感情を表に出せなかったの?と言われても、私にもよくわからないのです。

物心ついたときにはすでに、冷めた子どもだったように思います。

おそらく、両親が私に対して過保護だったことや、夫婦の不仲を隠しもせず見せつけたことなどが原因で、小さいうちから自立心が芽生えていたからでしょう。

小学生のときには友だちから、あからさまに「あなた誰だっけ?」と言われたり、無視され続けたりした経験もあります。でも、不思議と悲しくも悔しくもなく、怒りすらなく、心が不感症の状態でした。

子どものくせに、なんの感情も湧き上がってこないんです。こんなこと、想像できますか?

16歳で家を失い、一人になる。

中学から高校にかけて、親の前ではいい子を装っていましたが、自分の中には暗黒の闇が渦巻いており、常に裏表がありました。そのころから、自己というものが崩壊しかけていたのかもしれません。通学する気力がなくなり、高校はすぐにやめてしまいました。あいかわらず、心は不感症のまま。

新年を迎えてすぐのこと。突然、ファンヒーターから発火し、あっという間に燃え広がった炎が自宅を包み込んでいきました。1人で自宅にいた私は逃げることで精一杯。自分の背中に火が燃え移ったことにも気づかないほどでした。
まだ、建ててから5年ほどしか経過していない新築の家が全焼です。そしてなぜか、火災保険にも入っていない状況。

こんな不運な状況下でも、どうにかこうにか、一家3人が借家で暮らしはじめて間もなくのことです。

またもやストーブによるボヤ騒ぎがおきたのです。なぜか、また私が1人で自宅にいるときでした。

そのとき父は私に、ボソっとつぶやきました。

「お前がいると家が燃える。もう・・・出て行ってくれよ・・・」

1回目の火事も2回目のボヤ騒ぎも私のせいじゃないのに、私のせいにされて、理不尽な思いは感じました。でも、親の気持ちを考えると私のせいにするしかないし『しょうがないだろうな』と冷静に思いました。

だからこそ親に迷惑はかけられないと感じ、私は家を出ました。

当時、たかだか16歳。当然、経済力もなく、学校に行っていないから友だちもあまりいない状況で、たったひとり社会に放り出されたのです。

子どものころから自立心が強かったせいか、それがつらいと思ったことはありません。それより、住むところがないことのほうがよほどつらいものです。

住み込みで働ける職場が見つかるまでの間は、数少ない友人の家に泊まらせてもらったり、公園のトンネルの中で寝泊まりをしたりしました。

途中、人に騙されて財産を失ったこともありましたが、1人でなんとか暮らしていくだけの力はあったようです。
 

結婚、出産、離婚。そして母の病気により、アロマと出会う。

1人暮らしも板についた19歳のとき。仕事で知り合った男性と、初めて会ってから7日で結婚を決めました。実際、ひとりで生きていくのは大変でしたし、誰かに支えてもらうありがたさに、クラっときたのでしょう。

翌年、20歳で息子を出産してしばらくの間は、両親とも和解して、幸せな日々でした。

しかし幸せというのは、こうもはかないものか?と思うほど。年に数回でしたが、酒乱の夫から殴る蹴るの暴行を受けました。そしてつかの間の仲直りがあり、またDVの繰り返し。

結局23歳のときに離婚し、息子は私が引き取りました。

しかし、1人で育児をしていくことへの不安やプレッシャーから、パニック障害、うつ病、解離性障害、不安神経症などを発症してしまいました。

そんなとき、追い打ちをかけるかのように、母親が脳梗塞で倒れたのです。

幸い、命はとりとめましたが、病院での治療が困難なほどに血管が弱かった母は、さまざまな民間療法を試すようになりました。そのひとつがアロマでした。

これが、私とアロマの初めての出会いです。

母は、アロマを取り入れてからいつしか、12箇所もあった血管のつまりが0になり、高血圧だったのも正常値に戻りました。知らないうちに良くなっていたという感じです。いまは病気ひとつせず、母はとても健康です。

その後、アロマの力に魅了された母は、フランチャイズのアロマスクールを経営しはじめました。そのため自然と私も、アロマの魅力に触れていくことになります。

アロマのおかげで、私の病気も劇的なスピードで回復しました・・・と言えば、かっこいいのですが、実はそんなに単純なものではありません。精神に闇をかかえてしまった私が、光の射すほうに歩き出すまで、10年以上の長い時間を要しました。

特にひどかったのがパニック障害で、多い時は1日に10種類以上の薬を飲み続けていました。アロマを併用しながら少しずつ薬の量を減らしていき、ほぼ断薬できるまでは8年ほどかかったと記憶しています。

初めて沸き起こった「生きたい」という気持ち。

息子が小学生になってからは、私は引きこもりがちになり、ほとんど外出しなくなりました。かといって、息子にご飯を食べさせないわけにはいきませんから、自宅でできる仕事をかたっぱしから行いました。でもそれだけです。ご飯以外のことはなにもせず、育児放棄と言っても過言ではありませんでした。

それでも、母によるアロマの施術を定期的に受けていたせいか、少しずつ気持ちは前進していきます。

アロマテラピストの修行をはじめたのも、この頃です。

ただ、当時の私は、生きることよりも、死ぬことにベクトルが向いていました。パニック障害やうつ病の薬は、治すために服用しているはずなのに、自分が自分でなくなってしまう副作用があったみたいで、小さな子どもがいるのに、飲めば飲むほど死にたくなるんです。

それでもわずかに残った理性が、私をこの世界につなぎとめてくれたのだと思います。

その理性で考えたのが、自分以外の誰かに、アロマの施術を行うことです。少しでも外に出て人と関わらなければいけない、このままじゃいけない、そう思ったのでしょう。

無料ではありましたが、来る日も来る日も、自分の手から血がにじむほど施術をしまくるのです。とにかく誰でもいいから無心で施術をすることで、死への意識が遠ざかることを期待して。思い返すと、2002年から2011年までの9年間で、およそ6500人に施術をしていたことになります。

満足に寝ることもせずに、施術を続けていたせいか、私はどんどん痩せていき、活動エネルギーがかなり低下していたのかもしれません。ある日、意識はあるのに体が動かないという状態に陥ったのです。金縛りとは違い、このまま目を閉じたら、命が尽きるんだろうなという不思議な感覚がありました。

そのとき、心が不感症だったはずの私が、死への恐怖を感じたのです。

同時に、脳裏に息子の顔が浮かび、初めて「死にたくない!」と強く思いました。

生きたい!生きたい!生きたい!

心からそう思った瞬間、ふと、アロマの香りが漂って、固まっていた体がちょっとだけ動いたんです。死神は去ったのだと思いました。

がんばることで死を追い払えた。この経験は私に「もしかしたら、人生はやり直せるかもしれない」と、思わせてくれました。

そして翌日、母に会いにいきました。出産をきっかけに、なんとなく両親との和解はしていましたが、その後もわだかまりがまったくなかったわけではありません。

私のこんなにもつらい状態を作り出したのは、母以外のだれでもない。そのことを伝えるために。

許しにより取り戻した、悲しみの感情

私は子どものころからずっと、母に言いたいことを言わずに我慢してきました。それは、口にすることで、母を傷つけてしまうのではないかという恐れからです。

怒られないようにいい子でいよう、というのではなく、母を悲しませないために自分が我慢をしていたのだと思います。20年以上もずっとです。

言いたいことを飲み込んでしまうからといって、それが消えるわけではなく、言い出せない思いがさまざまな病気を引き起こし、いまの私があるのです。

私はもうこれ以上、苦しみたくなかった。死にかけるところまで進んだ以上、いったん過去に戻り、母と対峙しなければ、私はもう終わりだ!と強く決意し、言葉にしました。

「私が病気で苦しんでいるのは、お母さんのせいだよ」

初めて言えた、本当の思い。何十年も飲み込んできた言葉。

どんなふうに言い返されるかと内心ビクビクしていましたが、母から聞けた言葉は、予想外のものでした。

「・・・ごめんね。今までそのことを認めたくなくて、逃げていたのかもしれない」

なんと母は、泣きながら謝ってくれたのです。

母の涙を見たたその瞬間、大きく世界が変わりました。

心の中のゴミを捨てたことで、私の体内から乖離していたはずの感情が、す~っと戻ってきて、代わりに胸の中に「愛」という概念が満ち溢れたのです。
これが「許し」だと、感じました。

そして私も母と一緒に泣きました。涙で悲しみを流してしまうように。たくさんたくさん泣きました。

しかし、感情が戻ったことで、自分や息子を大切にしてこなかったことへの罪悪感に襲われはじめました。

ここで忘れてはいけないのが、息子の存在です。

いくら病気だったとはいえ、半ばネグレクトのような状態で育った息子です。なにも問題がないわけがありません。

チックがはじまり、暴力に走り、勉強もあまりできない子になってしまいました。このまま放っておけば息子も自分と同じ道を歩みかねません。

そこで私は、通信制の高校に通い始めました。息子が中学生になったときに、勉強を教えてあげられる母親でいたいと思ったからです。それがそのときの自分にできる精一杯の愛情でした。

母が私に泣きながら謝ってくれたように、あるとき、私も息子に謝りました。そして、ひまさえあれば一緒に遊んだり、アロマの施術をしてスキンシップの回数を増やしたりしながら、心をかよわせることで、親子の関係を再構築していきました。

いま息子は、国立大学の医学部に通っています。医師を目指しています。

アロマと出会っていなければ、私は自分の人生だけでなく、息子の人生も台無しにしたでしょうね。いまふりかえると、本当に恐ろしいことです。

「健康アロマサロン」に秘めた思い

母が泣いて謝ってくれた日から、6年ほどが経過した2009年。母が運営していたスクールを引き継いだことで、アロマテラピストとしても講師としても経験を重ねることができました。アロマサロン開業に向けての、本格的な活動のスタートです。

母を心から許せたことで、運が好転しはじめ、チャンスをつかめる自分になれたからだと、私は確信しています。アロマサロン開業に向けて、自然と環境が動きしたのも、すべて母や息子との関係回復のあとですから。

自分から必死で動かなくても、まわりがお膳立てをしてくれたり、なぜか目の前にチャンスが転がってきたり、わかりやすく言うと、ちゃんと引き寄せていたのだと思います。

実はこのころ、2度目の結婚をしていました。

ほんのすこし前まで激痩せで死にかけていたはずの私は、夫婦生活の多大なストレスから、またたくまに太っていき、ついにはスリーサイズが上から110、110、110にまでなってしまったのです。

せっかくなので、アロマでどこまで痩せられるか人体実験を開始しましたが、おもしろいように成果が出てしまい、およそ1年半で25キロの減量に成功しました。ダイエット中まったくつらくはありませんでしたし、アロマのおかげで皮膚がたるむこともなかったです。

そして、2013年3月に、2度目の離婚をしたのと同時に、にわかには信じられないご縁が目の前に転がってきて、サロンとスクールを同時に開業することができました。とんとん拍子って、こういうことを言うんだなと思います。
開業に至るまでには、多くの方との出会いがあり、助けがありました。人を信じられなかった私が、アロマのおかげで人に甘えることができるようになったのです。

アロマと出会って16年。アロマは、私にとっては命そのものです。

死ぬことにしか意識がいっていなかった自分に、生きる力を与えてくれ、稼ぐ力にもなってくれたアロマ。

アロマによって、体も心も快復し、変身だってできる可能性を伝えていきたいのです。
アロマがあることが、もっともっと当たり前の世の中にしていくのが、私の夢でもあります。

どんなに美しくても、どんなに痩せていても、健康でなければ無意味です。

その思いを「健康アロマサロン」という名前に込めました。体の不調というのは、まさしく心が作り出しますね。病は気からという言葉のとおりだと思います。

「健康アロマサロン」とともに、まだまだ私の夢は始まったばかりです。

アロマテラピストを目指す方へ

人は満たされない何かがあるとき、ほかの何かで埋めようとすることがあります。

でも、愛の代わりにお金で埋めるなんてできないと思うんです。人から愛されることを望んでばかりいる人は、結局のところ自分を愛せていません。

私もそうでした。

人を癒やす仕事につくのであれば、まずは自分を癒やすことが必要です。

あなたが、将来アロマテラピストになりたいと思うなら、このことを決して忘れないでほしいと思います。

アロマの可能性は、あなたの可能性と同じ、未知数です。

私はいまでも、パニック障害に陥ることがあります。たまに薬にたよることだってあります。完治はしなくても、アロマを取り入れながら病気と上手につきあっていく方法を知っているので、こうして起業もできました。

私にもできたのですから、あなたにもきっとできます。

人生をあきらめる必要は、どこにもありません。

このページを読んでくれたあなたに、私の思いが少しでも伝わりますように。

2015年9月 小黒富美子

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